楯害ほ要保つ然美す吉良きら宿換決上ひあひつようぐうぜんみやじゅくこう沼のある土地と自分の領地を交換するなんて、よほどこの沼がほしかったのだね。たかだてかくきしかんみまさかのかみばっかいけつすいがいふせ― 117 ― 村の人たちが水不足で苦しんでいるころ、1449年(今から約570年前)高 信安は領地をまわるたびに、小鶴沢川の水農作物に必方法はないかと考えていました。 そんなある日、家来を引き連とき、偶に1つの小さな沼を見つけました。この沼は、それより50年くらい前に、その土地の農民たちが力を合わせて作っていた沼だったのです。そこで信安は、ため池として小鶴沢川に水を流し、山辺地区の荒れ地を田畑にしようと考えたのでした。 しかし、この沼をため池として使うには、いくつかの問題がありました。1つめは、この沼のある場所は今の朝日町に住そこで信安は、自分の領地である末町宮)と交 2つめは、沼が小さかったことです。そのためにあっという間に干沼をもっと大きくしようと考えました。城主となったのが、武田信安でした。な水を確んでいる岸することで解がってしまいます。そこで信安は、このし、さらに荒れ地を田畑にするれ山にかりに出かけた作守の領地だったのです。しました。を防村(現在の朝日ぎ、
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