わたしたちの山辺町
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械き労働力要成かいひつようすえじゅうろうどうあつりょくかんせい― 119 ―がなく、全て手作業で仕事をするため、山をけずり堤防をきずくことは、かなりの重ます。また、農作業をしながらの工事ですから、その苦労はなおさらのことです。水の強い圧つくる工夫もたいへんだったことでしょう。江戸時代になってからは、さらに大きな沼にするため、堤防も大きくする必人手が足りず、他の村からも助けを受けました。 こうした苦労の末当時の作業の様子(高低を見るための方法)がありました。そのため山辺の農民だけではに、玉虫沼は完だったと思われにたえる堤防をしたのです。玉虫沼ができるまでの工夫や努力 機

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