しんでん学校の周りにも、堰が通っているよ。調べてみよう。どの時代でも、必要に応じて水不足を補う工夫と努力があったんだね。すいりょうめいおおせきヘクタールもがみぜき― 121 ―れるようになると、村人たちは堰 玉虫沼は、長年農業用水として使われてきましたが、開発にともない、水新田量治江じえた。そこで、明中山町を通り山辺の須川まで21㎞にも及ぶ最くられました。さらに、昭和56年、朝日町の最上川からトンネルによって水を引くようになり、水不足の不安はなくなりました。この堰を通して、山辺の田畑をうるおしたのです。その広さは、276hした。村人たちは、水不足に悩まされることはなくなりました。21年、大を引きました。そして、の不足が問題になってきまし町の最上川から水を取り、aにもおよびま上堰がつ玉虫沼の完成とその後 玉虫沼がため池となり、小鶴沢川に多くの水が注が
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