わたしたちの山辺町
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冶じやか奥敬ゆ情くおととのつうかみたのやくまったにゅうやまおくそんけいじょう出典:『山辺町史 下巻』(2005)うまで、半年かかりました。 道具が整 はじめは、一人1日40㎠くらいずつ織っていき、約6㎡のじゅうたんができあがるまでに1か月かかりました。 中国語のわかる通訳かったので、言葉は全ませんでした。 だから、技術を教えてもらうには、「体の一部を引っ張って伝えてもらう」「見よう見まねでまねする」しか方法はありませんでした。(例)毛糸を切る…耳を引っ張るもっと短く切る     …髪の毛を引っ張る 中国では、じゅうたんおりの仕事は男の仕事だったので、初め女の人は教えてもらえませんでした。 そこで、まず男の人が技術を聞き、それを女の人に伝えました。 道具も男性用しかなかったので、町の鍛屋んで、女性向きさんに頼に作り変えてもらいました。がいなく通じ じゅうたんを作るための道具として、とても大きくてかたいケヤキの木が必要でした。それで山まで出かけてさがしました。 日本と中国の文化のちがいにとまどうこともありましたが、わたしたちはみんな、中国の方たちを「先生、先生」とよんで尊 羊の毛糸を中国から輸入して、工場で染めたのですが、においがひどくて、近所から苦がくることもありました。していました。― 126 ―手織りじゅうたんの作り方を教えてくれた中国の技術者たち

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