わたしたちの山辺町
129/148

しつせいひんしつこうしょうはっ※山辺郷土史研究会「郷土史讀本」(1940)※山辺郷土史研究会「郷土史讀本」(1940)出典:『山辺町史 下巻』(2005)値当時のお金の価を今のお金の価値に直すと約700倍になるんだ。町全体の主な農産物の生産額より大きな額なんてすごいな。 じゅうたん工場では、たくさんの製を作ることができるようになりました。山辺のじゅうたんは、他の土地の物よりも質からの注文も一度や二度ではありませんでした。山辺は日本のじゅうたん発の地と言われるようになりました。が高いとうわさになり、皇かち祥品室人々の生活も豊かになって、良かったね。でも、せっかくのじゅうたん工場も、一度やめる時期があったそうだよ。大きな戦争が理由のようだね。その後、じゅうたん工場はどうなったのかな。近年稀にみる好況【⇒この年は最近ではめずらしいくらい良いできだった。】近年稀にみる好況【⇒この年は最近ではめずらしいくらい良いできだった。】お米:398,000円【今のお金で約2億8千万円】 繭:180,400円【今のお金で約1億3千万円】果物:38,000円【今のお金で約2千7百万円】    1939年度:948,000円【今のお金で約6億6千万円】1940年度の上半期:750,000円【今のお金で約5億2千5百万円】★「山辺じゅうたん」の生産額まゆ★山辺町全体の「お米」「繭くだ」「果もの物」の生産額― 127 ― じゅうたんの完成と人々のくらし昭和14年(1939年)

元のページ  ../index.html#129

このブックを見る