わたしたちの山辺町
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た蚊か帳や(右)ともんぺ(左)。どちらも山辺の名め産さ品ひだった。▲▲昔山辺で作られていんいんみ資苧料業ち豊域表ないみ意味力どど力えきがま▲玉▲鯉諏す訪わ堰せ。今も大切に使われている。虫沼ぬから流なれる水を田畑にひくの里・要害地区。鯉の養殖をするための池が広がっている。山辺町の中の学習のふりかえり 昔の人たちは、町で生きていくために様々な知恵を出し、工夫をしてくらしてきました。今の山辺町は昔の人の努によって支られていました。しげんげんりょうほうふ 山辺に住む人たちは、昔から身源を生かして、工夫を重(糸の原富な地(作谷沢)などはその代区などでは田畑に水を引くための堰出し合ってくらしをつくってきました。 わたしたちの身のまわりにあるものにはすべて歴があります。みなさんも昔の人の知恵や工夫をたくさん見つけ、その工夫や努あることを感りょくの一つ)と金気の水を生かしたせんい産での鯉の養殖(相模地区・要害)、わさびづくりじてほしいと思います。ささかなけいきこいようしょくだいひょうりょくかんかさゆたせきのまわりのさまざまなねてくらしてきました。青です。水が豊かでなかった山辺地をつくるなど、知恵をによってわたしたちのくらしがや水が史的あおそさんぎょうれきしてき― 83 ―山辺町ふるさと資料館の阿部さんのお話

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