水戸光圀の超時空漫遊記
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-8-っくけんまかんんとっ山野辺城主としてその実力を発は揮きした義忠は、最上家(本家)の御お家いえ騒そう動どう(家か督とく相続争い)に巻き込まれました。最上家では、義忠の兄の家いえ親ちかが急死し、その息子の家信が跡あ継つぎとなりました。しかし、家信が幼少の身であることから、義忠を城主にと望む多くの家か臣したちがいました。それが御家騒動のきっかけとなって、幕府にも知れ渡ったこともあり、最上家(本家)は近江国に移されました。義忠も備び前ぜ岡お山や藩は池い田だ家けに十二年間、とらわれの身となりました。しかし、このままで終わる義忠ではありませんでした。その後、義忠は、徳川幕府三代将軍家光の命令により、初代徳川家康の十一子頼より房ふさが治める水戸藩に、大名格の一万石で家老として四十六歳から三十年間程仕つかえることになりました。頼房から信頼を得た義忠は、光圀の教き導役となったほか、藩はん政せいに参さん画かくし水戸藩の考え方や水戸学の骨こ格かに大きな影響を与えたといわれています。ょうどうやく

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