-11-山野辺義忠と一緒に山野辺城主時代の家臣の一部も水戸藩に行きました。その家臣に、安達、寒河江、大石田、斎さ藤と、渡辺、大泉などの名字がみられます。義忠は七十七歳で生涯を終えました。茨城県那な珂か市しのお寺にある高くて大きな大そう立り派ぱなお墓が義忠のお墓です。義忠をはじめ、その子孫も代々一万石で水戸藩の家か老ろうを勤つとめました。九代三代将軍家光の時代から二百年にわたって、日本は鎖さ国こく政せい策さくを行い、決められた国以外との貿ぼ易えなどを禁き止ししました。十八世紀末頃になると、欧お米べ諸し国この船が、あいつぎ日本の沿岸に姿を現すようになってきました。水戸藩でも沿岸に異国船が現れるようになり、早くから危き機き感かを持ち、警け備びなどを強める政策を行っていきました。義よし観みは、義忠の再さ来らを思わせる意い志しの強い方で、歴史に残る方でありました。んいくうょいきうんいいっいう
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