-12-特に水戸藩主九代斉なり昭あきは、海かい防ぼう政せい策さくのため城を助川村に築いて、山野辺家九代義よし観みを城主(特に海か防ぼ惣そ司しと呼びました)としました。徳川幕府は、一い国一城令によって新しい城づくりは禁止していました。そのために「城」とは呼ばず、「館」「陣じん屋や」「御ご殿てん」などと呼んでいました。助す川がわ海かい防ぼう城じょう(館)の築城当初は、全国的に大だ飢き饉きで水戸藩の財ざい政せいも苦しかったのですが、「城づくりの遅おくれはゆるさない」と強力に進めました。五年の歳さい月げつをかけて、助川海防城(館)が完成しました。んいけういうっこくいちじょうれい海防の要とされた助川海防城(館)址
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