-13-義観は、一八三六年十二月三日に二四七名の家臣といっしょに未完成の海防城(館)に入部し、国防の観点からました。幕府は、異国船に及び腰であったにもかかわらず、水戸藩は幕府より先に異国船警備に当たりました。沿えん岸がん警けい備びの任に務むにつき平成の世になって十二年から、助川の地がある茨城県日立市にて、『日立さくらまつり』の中で『助川海防城入部武者行列』が行われ山野辺家十六代義達も参加しておった。平成十五年には山野辺の爺のふるさとの山辺町長と二六名の町民代表も参加したらしいぞ。ん助川海防城入部武者行列
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