-14-助川海防城は九代義よ観みから十代義よし正まさ、十一代義よ芸つと三代にわたって受け継がれました。しかし、山野辺家は、一八六四年九月に水戸藩内の主し導ど権け争あそいに巻まき込こまれ、城は残念ながら予想外の形で落城しました。海防城主としては最後となった義芸は、その心の中の無念さを下の「書」に書き残しております。ゅうんらしねし第11代 山野邊義藝(よしつね)の書「常に公正さを求めて生きるという自分の考えを書いている」「邪無思」(思いよこしまなし)
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