-3-徳川家康が十三歳頃の義忠を見て「将し来、恐おるべき怪か童ど」(将来は、大人物になるだろう)と語ったそうです。後に徳川幕府を開いた家康には、幼少の身の義忠の行く末が見えたのかもしれません。義忠は、翌年の一六〇一年には山野辺城主になりました。それからは山野辺と名乗ることとなりました。ょうらいそういさすが、爺じい様さま、いや家康公、見方がするどい。さすが、東とうし照ょう大だい権ごん現げん様です。
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