-5-お店などの町人の家を配置し、「市い」が開かれました。それは、大そうなにぎわいであったようです。水利事業にも手し腕わを発は揮きしました。白鷹山から作谷沢地区畑谷に流れるの朝日町に流れていきます。その川の水を畑谷で分水している堰せ(釣つ樋す堰ぜ)を大改修し、分ぶ水す筒どを設けて分ぶ水すし、治めている地域の南部一帯(現在の相模地区と山辺地区南部)の田んぼへの用水としました。鵜う川がわ(沢上川)は、山辺とは反対側ういんんいちゅんっびきるき市(いち)の安全と繁栄を祈った市神(大手町にある市神)釣樋堰(つるすびぜき)分水口 畑谷地区西北部入口
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