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やまのべ人物伝 武田勇治郎
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掲載日:2016年3月1日更新
山辺町出身の童謡詩人・武田勇治郎作詞の「花のいろ」が、第18回国民文化祭「童謡フェスティバル」で発表されました。この武田勇治郎について、その人となりをご紹介します。 | プロフィール 大正8年3月、相模村に生まれる。相模尋常高等小学校高等科を卒業後、山形市内の書店に勤める。この時から沢渡吉彦に師事し、童謡の創作活動を始める。「花のいろ」は氏の代表作。 |
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武田勇治郎と「花のいろ」 武田勇治郎は大正8年3月、山辺町要害地区の農家の次男として生まれました。性格は几帳面で活発、成績優秀で特に作文と絵を得意としていました。勇治郎は相模尋常小学校高等科を卒業後、山形市内の書店に住み込みで働き、結城よしをとともに沢渡吉彦に師事し、童謡の創作活動を始めたのです。勇治郎の作品には方言が自在にちりばめられており、リズミカルで都会的な結城の作品とは対照的なものでした。 昭和14年、19歳の時に入隊、終戦までの長い軍隊生活の間にも書きつづった童謡ノートは数十冊にものぼったといいます。25歳で終戦を迎え、帰郷した勇治郎は創作活動を再開し、代表作となる「花のいろ」をはじめ、多くの作品を生み出しましたが、長い軍隊生活での過労から健康を害し、昭和23年に28歳という若さで他界しました。 そのわずか数ヵ月後、子どもたちの歌がほとんどないことを悲しんだ日本童話会とサトウハチローらによって「花のいろ」がレコード化されました。勇治郎自身がそのメロディーを耳にすることはできませんでしたが、楽譜などの貴重な資料が今でも勇治郎の生家に保存されています。 また、純粋で清らかな作品を多くの人に読んでほしいと、勇治郎の残した作品をまとめた童謡詩集『花のいろ』が没後26年の昭和49年に刊行されました。『花のいろ』には、「花のいろ」「夜明けの村」「ねぼすけ蛙」「祭」など童謡詩40篇と「おくすりびん」「星むすめ」の童話2篇が収められ、土の匂いのする勇治郎の牧歌的な世界が広がっています。地元の相模小学校の子どもたちが、昭和23年にレコード化された「花のいろ」を歌い継いでおり、先生方が勇治郎の詩の題名と同じ「花のいろ」という詩集を編集しています。そこに収録された毎月の詩を全校児童が暗唱し、校長先生の前で発表しています。素朴で自然な言葉を用いた勇治郎のあたたかみのある詩は、今でも多くの人々に愛され、人々の心を優しく包み込んでいます。 |
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武田勇治郎作品紹介